<丹後・藤布>

『途絶える運命だった藤布を守り伝える(小石原将夫)』  

先日、藤布の里、京都府丹後市網野町を訪ねました。京都駅から特急列車で約2時間半、藤布を作り続ける小石原将夫さんとは7年ぶりの再会でした。 日本海に面した「新海荘」という旅館で、藤布について酒を酌み交わし、夜遅くまで語り合いました。  
薄紫の藤の花、その蔓から生まれる藤布は、かつて生命を守る古代縄文、弥生時代より、日本人はこの丈夫な藤蔓の樹皮を編み組み機にかけて織り、袋や衣類に用いてきたのです。この力強く美しい布を生み出す行程は、ことさら手がかかるのと、同時期に麻が普及してきたこともあり、中世時代に入ってだんだん藤布を製織する地が減少していったようです。  
しかし、雪深い冬に閉ざされる網野町上世屋地方には、つい20年前まで藤布づくりが受け継がれ、続いていたのです。当時、その素晴らしい技術が途絶えることを憂えた小石原さんは、保存会という形で技術を学び、20年経った今でも昔ながらの技法で作りつづけておられます。現在の作り手は、かつて名人と呼ばれたおばあちゃんの娘たちや保存会のメンバーを合わせると、わずか7名ほどしかいません。けれど、最近では嬉しいことに、結城紬の産地で修行を終えた小石原さんの息子さんも藤布の技術保存者として名を連ねました。小石原さんも新たな気持ちで布作りを頑張る、そう決意を新たにしておられます。
産地を訪ねて、手仕事の大変さを知るたびに、着物に対する思いが深まります。小石原さんをはじめ、藤布を継承している方々の思いを少しでもたくさんの方々にお伝えする、それが私にできる仕事なのだとあらためて感じました。                

きもの田中屋 田中博史